よもやま保育談議07 こども用の土台じゃなくてさ……



松本崇史(以下、松):でも、わからないほうがいいときもあるよね。


藤田進(以下、進):「わかる / わからない」ってさ、すでにそこに大人の教育的な意図があるもんね。そしてそういうの抜きにして、人と人っていう関わりもあるし。


:まあ、教育的な意図も「目的」が何かによるんだけど、能力が目的になるとどえらいことだわ。そんで実質最低限の生活スキルもいるしね。


:教育的な意図ってさ、能力を使って何をするか? が目的にあるべきよね。


:そうね。あと確かに、人と人との関わりがうまい人はいるのよ。 そういう人は一対一に秀でてることも多い。

:いるよねー。


:ただ、集団もいるのよ。だから、いろんな人がいてわかりあえばいいんだろう。怖い人もいればいいし。


:そうだね。僕はさ、教育的意図がもっと明確だといいなって思うよ。すると保育士がこどもを「見る」ってことが、もっと磨きやすい。それこそ民主主義教育とか、人権教育、環境教育とかね。


:そう、そこ。民主主義の本質は分かち合いや響き合いだし。そうありたいね。集団の価値だよ。集団がないと個もないしね。


:教育的意図が能力的になる……これってよく見るじゃない。実際日常的にさ。そうじゃないって言ってるのに、能力的数値みたいにして、そこ目指すということ含めてさ。「環境や生活を通して、何を育てるのか?」みたいなこと、考えちゃうわ。


:その時に目指してるこども像って、何なんだろうな?こどもにも失礼な話だと思う。その人によって意味は変わるわけだし。


:人間って、ずっと育ち続けるものだよね。大人になっても。


:そうそう、だから目指すこども像は土台だよ。人としての。だから、こども用の土台ではなくてさ、人間としての土台みたいなことの方がいい。



 

松本崇史(まつもとたかし)
鳴門教育大学にて佐々木宏子先生から保育・絵本を学ぶ。絵本屋を経験し、その後、任天会の日野の森こども園にて園長を行い、ほとんど事務所におらず現場にいながら、こどもたちと遊びを謳歌している。現在、おおとりの森こども園園長。雑誌『げんき』にて「保育ってステキ」を連載中。 藤田進(ふじたすすむ)
好奇心や探究心をたっぷり使いながらこどもと日々を過ごせるように、そして、こどもとこの地球や社会をどのように分かち合うかを模索しながら、絵本やおもちゃの販売、庭しんぶんの発行、研修事業などを運営中。札幌第一こどものとも社代表。庭しんぶん編集長。3児の父。

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