えほんの党 庭的読書のすすめ②



前回のあらすじ 絵本はこどもの百科事典みたいなもので、自分の興味関心をより深く楽しむためのメディアだよね。というお話。そして最後に、「読み聞かせ」っていうところから離れる必要がある、というところまできました。



藤田進(以下、進):「読み聞かせ」って、絵本を読む場合に使う言葉ですよね。その言葉に感じる違和感って何ですか?


松本崇史(以下、松):「聞かせ」って、そもそも変よね。共感とか共有することを大切にするなら、「聞かせ」はありえない。そこに見えるのは、「教えて学ばせる」という教育的な意識かな。絵本ってそれ以上の役割を担っている。もう今は絵本に求められているものが違う……。


:今僕たちは絵本があるのが当たり前の世界。だけど、絵本文化をつくってきた人たち、例えば、瀬田貞二さんや石井桃子さんは、戦中戦後という時代の中で、絵本を生み出してきてますよね。絵本が当たり前じゃないところから始めて、かなり文化的で教育的な側面が強かったと思うんです。


:そうね。例えば、初期の総合絵本とかは、その要素が大きかった。当時の文化人たちが体当たりで理想を描きこんでいるし、編集もおもしろい。その頃にしてみたら、かなり文化的だったはず。


:そう。でも今は絵本ってもっと身近。そして変な言い方だけど、文化的なものもあれば、そうじゃないのもあるわけです。教育的とか文化的な絵本論じゃ括れないくらい、バラエティが豊富。


:だからね、もう文化論的な絵本の捉え方じゃなくて、絵本がどのような役割を担っているのか?っていう役割論へ転換しないとだめだね。そうしないと、絵本の役割を狭めてしまう。おそらく。「読み合い」とか「語り合い」とかが近いんだけど、いい言葉がない。庭的読書ってのはいい気がしている。


:そこで庭的読書かぁ。あえて聞きますが、どこらへんがいいんだろう?


:関係性かな。もっと言うと相関関係が表現できている。自分と他者、自分と自然や社会(世界)、そして自分と自分。そういう関係性が庭にはある。


:庭って、調和とか共感とか、そういう関わり合いから生まれる空間をイメージしますよね。それに文化的だけど庶民的。堅苦しさもあまり感じない。絵本の役割を考えるときに、庭的というのは的を射ている気がします。


:そうね。「読み聞かせ」だと、「子育ては教えなきゃいけない」みたいな意識が邪魔する。


:おっ?!(つづく)



 

松本崇史(まつもとたかし)
鳴門教育大学にて佐々木宏子先生から保育・絵本を学ぶ。絵本屋を経験し、その後、任天会の日野の森こども園にて園長を行い、ほとんど事務所におらず現場にいながら、こどもたちと遊びを謳歌している。現在、おおとりの森こども園園長。雑誌『げんき』にて「保育ってステキ」を連載中

 
※この記事は庭しんぶん8号(2018年4月号)に掲載されたものです。

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